今日はなぞなぞのような問いから始めたいと思います。皆さんは「価格を算出すること」と「価格を設定すること」は同じだと思いますか、それとも違うとお考えでしょうか。

この問いは、ボストンコンサルティンググループが配信しているあるニュースレターの内容から着想を得ています。皆さんの中には「価格を設定すること」とは、単に数字を計算してはじき出される合理的な数字をそのまま設定しているにすぎない、またはそう思って作業されている方も多くいらっしゃるかもしれません。言い換えると、あくまでも客観的で合理的に計算された数字を突き詰めていって導き出される「最適な価格」の設定こそが「最適な価格設定」であるということです。先ほどご紹介したニュースレターの中では、同じような想定に基づきあくまでも客観的、合理的に物事を考え計算しているAI(大規模言語モデル)に自動販売機を運営させ、実際に販売商品の商品選定、仕入れや価格設定、売上げ回収までをやらせてみた実験が紹介されています。

詳細な結果についてはぜひ内容をお読み頂きたいと思いますが、実際にはAIによる価格設定の行動には数多くの問題、課題が見つかりました。ニュースレター内の言葉を借りると「判断力と必要とされる視点を備える能力の欠如」により、多くの意思決定に問題生じたということでした。私はここで「いかにAIに欠陥があるか」「翻っていかに人間の能力が優れているか」ということを皆さんに知ってもらいたいわけではありません。その議論自体が的外れのように思いますし、上記の実験で今日ではまだ大規模言語モデルAIが失敗したような様々な課題もやがては克服し、さらに進化を遂げてくるようになるでしょう。

改めて冒頭の話に戻りますが、「価格を算出する」ことと「価格を設定する」ことはどのように違うのでしょうか。価格を算出することがあくまでも「計算上導き出される客観的、合理的な数字を計算すること」で、価格を設定することが「算出で導き出された数字を消費者に提示すること」と仮定する場合、意識しようとしていまいと、この2つの行動の間にはいくつかのプロセスが存在します。例えば宿泊施設でBAR料金を設定する際、例え担当者やレベニューマネジメントシステムが客観的で合理的な数字(価格)を導き出すことができたとしても、施設が常にその価格をそのまま販売する(設定する)とは限りません。例え客観的に「x月x日のBAR料金は25,000円」と導き出すことができていても「いや、でも今月の予算の平均単価は30,000円だから25,000円では売れないな」だったり「競合のAホテルが20,000円で売っている以上、うちが25,000円で売る訳にいかないだろう」という主観的な判断が働いてしまい、価格算出と価格設定の値に違いが出てしまうのは、なぜ価格算出と価格設定が同じにはならないのかという典型的な例です。

また、最終的に人間の主観によって覆された「予算を達成するために」「競合施設と競争力を維持するために」という主観的な価格設定が、それもこれも「売り上げを最大化するためになされた必要不可欠な判断か」、「必ず売り上げの最大化につながる判断になっているか」というと、決してそうとも限りません。人間が判断を覆す多くの場合において覆した本人は「自分の判断の方が合理的、客観的で正しい」と思ってやっている場合が多いですが、この過程で、実際に私たちは多くの「認知バイアス」による影響を受けています。私は心理学や行動経済学などの専門家ではありませんので、この場でそれらバイアスについて詳細を解説することは控えたいと思いますが、実際に「価格を設定する側」が陥りやすい認知バイアスもいくつも知られています。

例えば「確証バイアス」とは「自分が信じる情報を重視してしまい、それに反する情報を無視してしまうこと」ですが、例えば価格設定者に「競合施設のAホテルより販売価格を高く設定してはいけない」という強いこだわりの理由を聞いてみると、担当者自身の信念や過去の経験による思い込みによって「競合施設のAホテルより高い価格で販売していては絶対に売り上げが最大化できない」と思い込んでいるケースはよくあります。またここ数年、日本の宿泊施設の価格が右肩上がりになっている中、多くの宿泊施設が継続的に取り組んでいる課題が「契約料金の見直し」です。これは旅行会社との契約料金、契約企業との出張料金などあらゆる分野に及びますが、私もかつて施設で勤務していた時、この議題を持ち出すと決まって「契約料金を上げたら契約してくれないですよ」「契約料金上げたら売り上げ下がりますよ」という声が上がりました。こういった声も「得るものよりも失うものに対してより強く反応する」(損失回避バイアス)や「変化に対する不安や過去への固執」(現状維持バイアス)という認知バイアスで説明できます。さらに、私はこのような実験をやったことはないですが、仮に宿泊施設のレベニューマネージャーに「施設の価格設定が提供価値に見合っていない」という過去の宿泊者の口コミだけを意図的に抜き出し、それらを連続で見せたあとに価格設定をお願いした場合、価格算出で得られた客観的な価格算出と比べ低い金額を設定することもありえるのではないでしょうか。これは「顧客の一部の声を全体の声として判断してしまう」という代表的ヒューリスティックの典型です。

私たちは普段からどうしても「客観的で合理的な価格設定をしよう」と心がけているかもしれませんが、需要とマーケット環境によって導き出された客観的、かつ合理的な価格(価格の算出)が常に適切な価格(価格の設定)かというと、私は決してそうは思いません。以前にも何回も述べていますが、価格は消費者に対する重要なメッセージでありブランドを構成する要素の1つです。設定する販売価格が自施設のブランドを体現し、価値を最大限に提供することができる価格体系になっているのか、それは決して需要やマーケット環境といった経済的視点でのみ判断されるものではありません。また、それは誰かから教わるような性質のものでもありません。自分たちが社会に提供できる価値と真摯に向き合い、社会との多くの対話の中で自分たちで考え、悩みぬいて導き出すのが価格設定であると思っています。そういった点を踏まえると、先に紹介した価格設定に知らず知らずのうちに影響を与える「認知バイアス」による影響も、価格の算出から価格の設定の中で経るプロセスの1つで、価格設定者が自らの認知バイアスが価格の設定に影響を与える可能性があると自覚しておく必要はあるものの、その負の影響ばかりがことさら否定されるものでもないように思います。

冒頭に紹介した「AIによる価格設定」の実験では、判断能力やその過程にまだまだ多くの課題が見つかりました。近い将来、仮にAIがこの課題を克服し合理的で客観的な判断に基づいて価格の算出から価格の決定までを行うようになった場合、AIに価格の算出から決定までを完全に任せることができるのでしょうか。行動経済学においては「人間が下す判断のすべてが合理的とは限らない」ことが知られており、それは情報発信者(価格を設定する側)にはもちろんのこと、情報受信者(価格を提示される消費者)にも言えることです。価格を算出することがあくまでも「マーケットの状況を鑑み客観的、合理的に価格を算出すること」であり、価格を設定することが「価格という手段を用いてその商品そのものの価値や提供者が創造する価値を消費者に伝えること」であれば、価格を設定することは単なる数字の提示にとどまらず「価値の表現」そのものであり、それを一貫してAIが担うことができるようになるかは非常に興味があるところです。

ところで、生成AIや自律AIの登場によりホスピタリティ業界でも「業務の効率化」が加速していますし、レベニューマネジメントにおいてもシステムによる業務変革は急速に進んでいます。冒頭に紹介したニュースレターの最後では、産業革命などの技術の進歩によりヨーロッパのパン職人がどのような変遷を遂げてきたかが例として紹介されていますので、最後にご紹介したいと思います。「1800年頃まで、ヨーロッパにおいて食パン一斤の価格は、単純肉体労働2時間分の給与に相当していました。しかし技術の進歩により、1900年にはそれが1時間分の給与しか必要とせず、1950年にはわずか30分相当の労働でパン一斤を買えるようになりました。その後、重量あたりのパンの価格はさらに下がり続け、1975年にはわずか10分の労働にしか相当しなくなりました。その時点で、パンを重量で販売するだけではパン職人が生き残ることは不可能になり、パン職人は差別化と付加価値に注力するようになったのです。フランスでは「バゲット」、ドイツでは特別な「ブレートヒェン」といった、高い利益率を確保しつつパン職人の技術を示す高級パンへと移行し、その後クロワッサンやヴィエノワズリーが登場しました。私たちはみな、AIの時代に生きるパン職人です。価格を設定する役割であれ、自らの専門領域での役割であれ、皆さんは人間とAIの役割をどこに見いだしますか?」