前回から「ディスプレイスメントとダイルーション」と題して、宿泊施設の販売促進業務にかかわるセールス、マーケティングのすべての皆さんに理解してほしいその考え方をご紹介しています。前回は、その前半としてディスプレイスメントの考え方を紹介しました。このディスプレイスメントの考え方については以前も団体ビジネスのくだりで詳しく解説しましたが、このディスプレイスメントという状況自体は必ずしも団体ビジネスの文脈のみで発生するわけではなく、個人/FITビジネスにおいても発生、その状況をきちんと理解し販売につなげないといけない旨をご紹介しました。
もう1つのテーマであるダイルーション、これもダイルーションという言葉は知らない人がほとんどでも、そのような状況は多くの皆さんにとってなじみがあるはずです。このダイルーションも英単語の「Dilution」からきており、日本語では「薄まる」という意味を指します。例えば多くの皆さんにこのような経験があるはずです。今日は11月下旬、1月の年明け以降の予約の入り状況がいまいちです。このままだと1月の月間予算に達することが難しい状況に危機感を覚えたあなたはちょうど今朝、あるOTAから誘われた「2週間後に行われる期間限定プロモーション」の企画に乗ることを決めました。2週間のプロモーション期間が終わり、懸念していた1月以降の予約もある程度入れることができてあなたはホッと安心しました。ところがその2週間後、なぜか1月の宿泊に関する問い合わせがひっきりなしに入ってくるようになり、同期間にあった団体ビジネスの問い合わせも「該当部屋タイプ満室」を理由に断らざるを得ませんでした。
ここで皆さんが直面する疑問、それは「もしかしてあの期間限定プロモーションはやらなくても良かったのではないか」ということでしょう。残念ながら多くの皆さんはここで「まぁ、プロモーションで予約たくさん入ったんだしいいか」と結論づけてしまうでしょうし、そもそも『プロモーションをやらなくても入ったのでは?』という検証すら行われないことも多いのです。しかしこの「結果的にディスカウントをしなかった方が売り上げが良かったのではないか(ディスカウントをすることによって売り上げが薄まってしまったのではないか)」という考え方、批判的思考こそがダイルーションで、売上損失を引き起こす大きな落とし穴の1つと言えます。多くの施設は「ビジネスが入っていること」自体を良しとし、その中身まで気にする人は少ないかもしれませんし、「ある程度良かったこと」に対して「もっとこうすいればさらに良かったのではないか」という考えにはなかなか至らないかもしれません。しかし宿泊ビジネスは常に「容量が限られているビジネス」です。例えビジネスが「入っている」としても、入っているビジネスがAかBかでその結果生み出される売り上げもまったく違ってくる、これが宿泊ビジネスの難しいところです。
上記に挙げた「ディスプレイスメント」と「ダイルーション」の考え方を、なぜレベニューマネジメントのみならず販売に関わるすべての担当者が把握していないといけないのか、それはこれらの考え方が「需要を作り出す、引っ張ってくる」、つまりセールスやマーケティングの担当者がその責務としていることと密接に関わりがあるからです。もちろん団体ビジネスの送客があることは非常にありがたいことであり、様々なブランド認知活動によってその宿泊施設への総需要が増えることは非常に良いことです。一方、販売している総客室数に制限がある宿泊ビジネスにおいては、時にその需要をすべてまかなうことができませんし、ビジネスとして経営に対する責務を負っている宿泊運営会社は、そのような状況でどのようなビジネスを優先して取るべきかという決断をしなくてはなりません。
そして、これらを判断するための基礎となるものこそがフォーキャストです。きちんとしたフォーキャストが行われていることで、施設はリードタイムと照らし合わせて「いつ、どのようなビジネスが入ってくるか」ということをあらかじめ知り、それに対して備えることができます。また、その情報が揃っていれば上記のようなディスプレイスメントやダイルーションの判断に困ることがないのは言うまでもありませんし、さらにそれを踏まえた料金コントロールと在庫コントロールにつながっていくのです。
ところでこの著書でもう1点、私にとって非常に印象に残った考え方がありますので最後にご紹介します。著者は、私たちが普段から使用する多くの「用語」がいい加減に使用されており、その定義が明確でないと警鐘を鳴らしています。(Our language has gotten “lazy”. 「言葉の使い方がいい加減、雑である」と述べています)例えばその一例として挙げられている言葉「売り上げと利益を最大化しましょう」については、「最大化という言葉はどちらか一方を”最も”大きくするという意味で、両方を最も大きくするということは意味として成り立たず、現実ではできない」と述べています。さらに「稼働と単価を最大化しましょう」の文章も同じ意味で使用をいさめています。両方が望ましいという意味合いは理解するものの、一方を”最”大化することはもう一方を”最”大化しないことになる(できない)と言っています。
同じように「Future Data(フューチャーデータ)」については「そもそも何のデータを指しているのかわからない、Historical Data(ヒストリーデータ)に対してFuture Dataと言いたいのであれば、フォーキャストと言えばいい」と言っていますし、「Optimal Profitability」(最適な利益率)に関しても「定義があいまいで言わんとしていることがわからない(一体”最適”とはどういう状態なのか)」と苦言を呈しています。さらに、特にレベニューマネジメントで多用される「Optimize(最適化)」という言葉にも厳しい言葉を投げかけています。「Optimize(最適化)とMaximize(最大化)は違うのか、もし一緒なのであればなぜMaximizeという言葉使わないのか、違うのであればなぜOptimizeという言葉で濁すのか」、そのような用語や定義の曖昧使用、耳障りの良い言葉ばかりを並び立てる言葉遊びは止め、きちんとした用語や言葉を使うこと、なぜならば発する言葉や使用する用語自体が考え方そのものを体現しており、そのような中途半端でいい加減な語用で体現される考え方では、レベニューマネジメントを進化させることはできないと説いています。
「最適化」と言ってしまうと確かに「うまくまとめているような感覚」に陥ってしまいますが、現に例えば私が上司から「来月の予算を達成するために活動を最適化してみて」と言われても、具体的に何をどうしたら良いのかがわかりかねます。もちろんその言葉の裏側を読み解いて個々のアクションを類推することはできますが、「上司は自分で考えるのが面倒くさくてこっちに丸投げしているのだろうか」という疑念を抱いてしまいます(実際、上司はそこで自身の思考を止めてしまっていることもあるでしょう)。このような「表面的に耳障りのいい言葉」は、えてしてその定義が曖昧なもので、その言葉を使用することで発信する側は「言うべきことをきちんと言っているような雰囲気」に陥りがちです。しかしそのような曖昧な表現で止まってしまっていることこそが、そこで自らの思考を止めていることであり、それがひいてはその組織の行動を体現していくように思います。私にとって強い気づき、戒めとなったくだりでした。
