「トイレットペーパーの先を三角に折る」を超えるイノベーションとは

先日、ある知人と話をしている中で「ホスピタリティ業界のテクノロジー、ディストリビューションはいかに旧態依然か」という話になりました。その知人は既に業界で30年近く働いているベテランで、今でこそホテル施設での勤務を離れていますが、ホテルに関連する仕事の関係で、今でも多くのホテルに頻繁に出入りしています。その彼が言うには「ホテルのテクノロジーは20年前、私がまだ施設にいたころとほとんど変わっていない」ということでした。そして以前、あるカンファレンスでゲストスピーカーが述べた面白い逸話を共有してくれました。

カンファレンスにて、そのゲストスピーカーは司会者から次のような質問を投げかけられたようです。「最近あなたが注目している、ホテル業界におけるイノベーション(技術革新)はありますか?」それに対するゲストスピーカーの答えは「私がホテル業界で見た最後のイノベーションは、部屋の清掃時にトイレットペーパーの端を三角に折ること、それ以来、残念ながらイノベーションは目にしていません」

非常に面白いジョークですが、私はそれを単純にジョークとして笑い飛ばせない複雑な思いもありました。ホスピタリティ業界に身を置く私自身として、それがあながち間違っていないことを常日頃から痛感しており、その点について個人的にも非常に高い危機意識を持っているからです。

皆さんも、ホテルにおける一連のカスタマーエクスペリエンス(顧客体験)を、ぜひ滞在客の立場になって思い返してみてください。まず到着すると、場合によってはチェックインのために長い行列に並ぶところから、私たちの滞在体験は始まります。既に自分のモバイルに確認書を提示できるような状態にし、もう片方の手にはクレジットカードや、場合によってはパスポートを握りしめ、すぐにでも手続きが完了できるような準備ができているにもかかわらず、その状態で、長い時では15分以上の待機を命じられます。

ようやく自分の番が来て「ヒラサタです」と名前を伝えると、レセプショニストはうやうやしくお辞儀をし「ようこそお越しいただきました」という言葉とともに、コンピューターで私の予約情報を探し始めます。そのまま30秒が過ぎ1分が過ぎた頃、決まってレセプショニストは非常に申し訳なさそうな表情で私に質問をします。「ヒラサカ様ではご予約が見つからないようなのですが、確認番号はお持ちですか?」

そして、苦痛になるほど長い館内説明を受けたあとは、クーポンの束をどっさりと渡されます。「こちらはカフェで使える100円オフのクーポン券、こちらは1日目のご朝食のクーポン券、こちらはバーで使えるドリンクの無料クーポン券、そしてこちらが2日目のご朝食のクーポン券・・・・・・」長い行列で既に疲れ切っていた私に館内説明を聞く余裕はありません。クーポンを貰って初めて、私は我に返って質問をします。「ところで、朝食会場はどこでしたっけ?」

ようやく部屋に入ることができた私は、やっと一息ついて、明日の会議に備えて少し仕事をしようと考えました。しかし肝心のWIFIのパスワードがわかりません。(説明されたのかもしれませんが覚えていません)部屋に準備された、周辺観光情報やホテルのキャンペーン情報などの「山ほどのパンフレット」の中から、ディレクトリーを探します。ようやく探し出したディレクトリーを1ページ目から辿っていった私は、結局そのディレクトリーにWIFIのアクセス情報は掲載されていないことがわかり、最後の手段としてフロントに電話をしました。しかしフロントへの電話は通話中でまったくつながらず、結局諦めて、ベッドに寝転がってテレビを見ようとしたところ、テレビの館内案内チャンネルにWIFIの接続情報が記載されているのを発見しました。

寝るときも一苦労です。ベッドサイドにマスターライトがあるのを発見し、寝る準備を完全に整えて枕元からマスターライトのスイッチを切ったところ、なぜか部屋の片隅のフロアランプはついたままです。コンタクトレンズをすでに外してしまった私は、おろおろと部屋を歩き回った挙句にようやくフロアランプの場所までたどり着き、どこにスイッチがあるのかわからないまま格闘した挙句、ようやくスイッチを消すことができました。そのあと、真っ暗闇の中をベッドまで戻るための私の苦労は言うまでもありません。

翌朝、朝食を食べようと下のフロアに降りていき朝食会場まで行くと、朝食クーポンを持ってくるのを忘れたことに気が付きました。急いで部屋に戻り、「昨日、机の上に置いたはずなのに見つからない」朝食クーポンを探します。ようやく見つけてクーポンを片手に朝食会場に降りましたが、さきほどまで空いていた朝食会場はまたたくまに多くの人であふれており、順番待ちの列ができていました。

会議に遅れるといけないのでルームサービスで朝食を食べようと思った私は、一度、部屋に引き返します。パンフレット、周辺観光情報、ディレクトリーからようやくルームサービスメニューを見つけた私は、ルームサービスに電話をしました。しかしルームサービスは電話中で一向につながらず、何回か掛けなおしてようやくつながりました。朝食を注文しようとすると「ただ今注文が込み合っておりまして、お届けするのに30分以上のお時間を頂戴しています」仕方なく朝食をあきらめ、近くのカフェでコーヒーを買うことにしました。

チェックアウトもまた一仕事です。ここでは誰もが、世界共通のある質問に必ず答えなくてはなりません。すなわち「ミニバーのご使用はありますか?」最後は、フロントデスク脇のプリンターで印刷される宿泊明細書をきれいに2つ折りにしてくれる作業を横目で見ながら飛行機の出発時間を気にし、それを受け取って私の滞在体験は終わります。

以上の滞在体験を羅列していて、これら1つ1つの体験が、10年、20年前とほとんど変わらないことに自分でも非常に驚いています。この20年の間に、携帯電話はPHSから目覚ましい進化をとげました。またアマゾンなどのイーコマースの躍進は、私たちのそれまでの「買い物」という購買行動を激変させました。自動車は、自動運転の実用化に向けて着々と進んでいます。翻ってホテルはどうでしょうか?

いまだに到着時のチェックインの行例の洗礼に始まり、予約時に情報を記載したにもかかわらず、紙の宿泊台帳にペンを使って再び情報を記入させられます。航空券では既に座席を自ら選べることが普通であるのに対し、ホテルにおいて、自らの部屋の選択は完全に「運」に委ねられているような状況です。日本でも、コロナの中でようやく「コンタクトレスチェックイン」が注目を浴び、わざわざカギを受け取らなくても、自らの携帯電話で部屋を開けられるような仕組みも導入され始めようとしていますが、残念ながらまだその流れは主流ではありません。

上記で紹介したWIFIやレストラン、ランドリー、朝食など「自分にとって必要な情報」は、部屋に置かれたパンフレットやディレクトリーなどの「膨大な情報の海」から、自ら探し出さなくてはいけません。出張で、1人で滞在しているにもかかわらず、「キッズプログラム」と称するファミリー層向けのプログラムの紹介パンフレットを横目に見ながら。

多くのホテルは、20世紀のままでほとんど進化していないホテルテクノロジー、およびホテルディストリビューションのしがらみに完全に手足を縛られ、もはやそのしがらみの中で自由に身動きを取ることはできません。そして、ホテルテクノロジーやホテルディストリビューションを牛耳っている巨人は、市場に次々と出てくる画期的なアイデアやシステムを「互換性がないこと」を理由にことごとくはねつけます。(または接続のために高額な開発費用を要求し、「礼儀正しく」はねつけます)

一方でホテルも、それら巨人が動いてくれないことをわかっていつつも、自ら積極的に動こうとはあまりしないようです。特に、顧客体験やホテルオペレーションに積極的にテクノロジーを取り入れ、その質をどんどん進化させていく重要な意思決定を求められる上層部の人々は、テクノロジーやディストリビューションの話となると途端に多くの人がその耳を閉じてしまい、IT部門にすべてを丸投げします。そして、IT部門がそのようなテクノロジーやディストリビューション導入の主導権を握ることも間違っています。もちろん導入に際するIT部門の技術的な専門的見地のインプットは欠かせませんが、ゲストフェイシング(滞在客向け)のテクノロジーは、普段から顧客と直接接していてその声を聞いている職責の人間が主導権を取って進めるべきですし、ホテルの販売そのものに関わるディストリビューションについての決定は、レベニューマネジメントをはじめとするセールス、マーケティングに関わる職責の人間が主導権を取って進めるべきです。

そして何よりも、ホテルディストリビューションやテクノロジーの大きな変革は、多大なコストと労力、また決して少なくはない「不確実性への挑戦」をもホテルに要求します。それらを前にするとどうしても及び腰になってしまうホテルを見透かしているかのように、巨人とホテルの不思議な関係は、20年たった今もほとんど変わっていません。

日本でも近年、観光教育がだいぶ注目を浴びるようになってきました。多くの大学が観光教育に関係する学部や科目を設置しています。そういった学部や科目を見渡しても、私が知る限りまだまったく手が付けられていない分野が、ホスピタリティ業界におけるテクノロジーを学ぶ場、創出する場です。

皿やフォークの並べ方は教えてくれても、ホスピタリティ業界がどのようなテクノロジーを取り入れていくべきか、そしてそういったテクノロジーを考え、新たなアイデアを育てる土壌はありません。直営、MC, フランチャイズ、GOPとは何かといった用語の意味は教えてくれても、なぜ、ホスピタリティ業界のテクノロジーとディストリビューションが20年前から変わっていないかという謎と課題に取り組んでいく環境はありません。

世界でも、このような取り組みはまだ始まったばかりです。先日、ニューヨーク大学のホスピタリティ専門機関が、「Hospitality Innovation Hub」(ホスピタリティイノベーションハブ)という拠点を立ち上げると発表しました。記事によると、この拠点には実際に最先端のバーチャルミーティングを備えたイベントスペースが用意され、学生はこの拠点で、世界最先端のホスピタリティ業界におけるテクノロジーに自ら触れ、さらに新しい課題や新たなアイデアを生み出せるような機会として利用されるようです。また、現在ホスピタリティ業界で実際に使用されているPOSやPMSなどの、ディストリビューションシステムも実際に設置され、学生はそういったプラットフォームをじかに使用しながら、現在、ホスピタリティ業界がテクノロジー、ディストリビューションの点で抱える課題を実際に見つけ、新たな仕組みを生み出していくインスピレーションを得ることができるとのことです。

日本でも、業界とは少し距離を置いた大学、研究機関などの場所で、ホスピタリティ業界におけるテクノロジーやディストリビューションに特化した「研究、実験の場」ができ、ホテルビジネスに関わっていようとなかろうと、様々な背景を持つ人が自由にそれを体感し、次の新たなアイデアを創出できるような環境が作られる場ができることを願っています。

また、そういう「ホテル」が日本にあっても非常に面白いと思います。そのホテルでは、ディストリビューションやテクノロジーなどの点において、様々な最先端がとっかえひっかえ、まるで「ラボ」(実験室)のように取り入れられ、顧客に実際に滞在してもらうことによって、それらのユーザビリティ(操作性、使用感)が検証されていきます。それはなにも、ゲストフェイシング(滞在客に関わる)のテクノロジーだけにとどまりません。レベニューマネジメントをはじめとして、マーケティング、オペレーションなどの多く業務が自動化され、ホテルオペレーションの新たな形が検証されていく場でもあるのです。そして、そこで繰り返される「Try and learn」 (試して学んでいく)の姿勢が、次世代のテクノロジー、ディストリビューションを生み出していくでしょう。

20年後のカンファレンスで、トイレットペーパーのジョークを再び聞かされるのは、私はもうこりごりです。

参考:NYU’s Tisch Center Launches Hospitality Innovation Hub: HI Hub (lodgingmagazine.com)