皆さんは、レベニューマネジメントの歴史についてご存じですか?いくつかの文献やウェブサイトで「1970年代のアメリカ航空業界での規制緩和によりはじまった手法」と紹介されていますが、その背景も含めて詳しくご説明しましょう。

1980年代初頭、アメリカ政府は、それまで政府によって厳しく管理されていた航空会社の運航路線とその運賃の自由化を断行しました。それまで、どの路線をどれくらいの頻度で運行し、そしてその運賃は〇〇円ということは政府によって管理されていたため、全ての航空券はいわゆる正規料金のみで販売され、そこには運賃の競争原理というものはありませんでした。それが、この規制緩和により環境が一変します。自由化が行われて間もない1982年には、この競争環境のあおりを受け、すでに平均するとひと月に1社の割合で航空会社が倒産するという厳しい価格競争が起きていました。

ロバート・クロス氏、この方はレベニューマネジメントの手法を確立した第1人者であり、彼が執筆した「Revenue Management」という本はレベニューマネジメントを勉強したことある方は必ず読んだことがある、あまりにも有名な書籍です。ここからはそのクロス氏の回想を引用し、このレベニューマネジメントが生まれた瞬間に立ち会ってみましょう。

“航空業界の規制緩和により、1983年、私が当時勤務していたデルタ航空は、現在の価値に換算すると年間でおおよそ600億円の金額を、毎年失っていました。まさに会社存続の危機にあったのです。当時、私はデルタ航空の法務部で法律にたずさわる仕事をしており、いくつかの重要なプロジェクトを成功裏におさめることができていました。それに目をつけた当時のCEO, デービット・ギャレットによって私は突然、マーケティング部門に異動させられたのですが、当時は困惑しました。私は法律家であり、私の大学の学位は化学でした。そしてアメリカ空軍でパイロットの訓練も受けましたが、マーケティングの経験は一切なかったですし、マーケティングのコースですら受講したことなく、今までマーケティング分野でのビジネス経験は全くなかったのです!

マーケティング部で働くことになって間もなく、私は当時「リザベーション・コントロール」と呼ばれていた、50名ほどの人間が働く地下の部屋に足を踏み入れることになります。当時の運賃競争環境は、それぞれの運航路線に対して異常なまでの数の運賃の種類を生み出していました。ほとんどの運航路線に対して、その運賃単位は49ドルから499ドルまであったでしょうか。リザベーション・コントロールで勤務する人間が、それぞれの運賃単位で何席販売するか、それを決定する権限を持っていました。アナリストと呼ばれる人間が、自らの経験と、それまでの販売実績に基づいた勘とガッツで、販売席数に対する運賃単位を割り振っていました。彼らは非常に優秀でした。彼らはあまり販売実績が芳しくない運航路線に関しては、より大胆な割引で席を売りさばく必要があるとわかっていた一方で、販売実績が好調な運航路線に関しては割引幅をおさえて、直前に正規料金に近い価格で購入する顧客のために、最後まで席を確保しておく必要があることをわかっていました。

彼らと一緒にしばらく働く中で見つかった大きな課題が、彼らの膨大な仕事量でした。当時、デルタ航空は1日に1500便を飛ばしていました。彼らはそれらの便すべての座席販売に責任を負っていましたから、その数は年間で550,000便にもなります。50人で550,000便の販売を管理していたわけですから、1人あたりの販売担当便数は年間で11,000便となります。これでは巨額な損失を垂れ流し続けていても不思議ではありません。彼らアナリストたちの日々の仕事は、CEOよりも、その会社の誰よりも、会社に大きな影響をもたらしていました。もし価格の割引幅をおさえすぎると、多くの空席を残したまま飛行機を飛ばすことになりますし、逆に大胆な割引をしすぎても、本来は高い金額で購入してくれる顧客を取り逃がすことになります。この価格競争は確かに席を埋めてくれはしましたが、同時に私たちはそこから損失を生み出し続けていました。私は簡単な計算を行いました。もしデルタ航空が、毎日の運航路線においてたった1席分、不必要な価格の割引を行うことにより被る損失は、実に年間で50億円にものぼるのです。

私は早速、小さなチームを編成しました。そこには手作業で運賃の振り分けを行っていた何人かのアナリストを加え、ITの環境も整えました。さらに私はチームに当時、デルタ航空のエンジンチームでエンジントラブルの割合を予測する仕事をしていた、ジョージア工科大で数学の博士号を取得した人間も加えました。

私はまず手順の変更に取り掛かりました。それまでの運賃の販売管理は、飛行機の出発時間が近くなるのにあわせて、担当者から担当者へバトンタッチされていました。まずはこの手法を変え、各アナリストにそのフライトが販売開始されてから最後に販売終了になるまでの、すべての管理を任せました。そしてアナリストの助けとなるよう、価格決定をサポートするための非常に初歩的な自動化システムを開発しました。その内容はほとんどが、アナリストが注意を向けるべき運航路線を優先的に表示させる「スマートフィルター」のようなものでした。ただこのシステムが画期的だった点は、システムが逐一550,000便の販売状況を監視し、アナリストが注意をしなくてはならない運航路線について優先的に表示させることができていることでした。これは今まで一度も取り組まれなかった手法であり、世界で最初の「イールドマネジメント(レベニューマネジメント)」システムとなりました。

このシステムは即時に成功をもたらし、初年度に現在の価値に換算すると、おおよそ940億円にものぼる価値をもたらしました。本当に驚くべき転換点でした。他の航空会社も同じような問題に取り組み始め、やがてアメリカの航空会社はイールドマネジメントに適応していきました。これがレベニューマネジメントの前身です。混乱の波の中でも、レベニューマネジメントは航空業界の規制緩和の成功に大きく寄与しました。競争環境が安価な運賃の提供と航空会社のサービスの向上をもたらし、まさに顧客にとっても航空会社にとってもウィンウィンの状況を生み出したのです。”

いかがでしたでしょうか?アメリカの航空業界が、規制緩和による苦境を乗り越えるために、苦しみながら生み出したのがイールドマネジメントの発端であり、当初は「価格のコントロール」という意味合いが強かったそのアプローチも、のちに航空会社やホテルの販売戦略そのものを扱う「レベニューマネジメント」としてその手法は体系化され、今日に至っています。

ここで私が特に強調しておきたい点が、レベニューマネジメントが逆境の中で生み出された手法であるという点です。こののち、旅行業界は湾岸戦争やアメリカ同時多発テロなど、いくつかの困難の中でたびたび大きなダメージをこうむりますが、航空会社やホテル業界はこういった苦境の中で、レベニューマネジメントの価値をさらに高めてきました。最後に、このロバート・クロス氏のコロナ禍における寄稿から一文を紹介して結びとしたいと思います。

“私たちは、起きていることを読み解くだけの十分な「経験」があります。そして今まで起きたことがないことについては、それを探求する「好奇心」があります。歴史は私たちの味方です。私たちは、このコロナウィルスによる未曽有の危機を乗り越えるだけのデータ、ツール、その心構えを持っています。「適切な商品を適切な顧客に、そして適切なタイミングで販売すること」の重要性はかつてなく高まっています。今がまさに、レベニューマネジメントの真価が試されるときです。さぁ、取り掛かりましょう!”          

引用:Revenue Managers: Rise Up! (linkedin.com)